王子様は歌う。〜Love is seeing her in your dreams.〜



書類を読んで仕分けしてサインをする。
そんな無機質な作業をがむしゃらに続けていた朱雀は、痛くなり始めた目を押さえてため息をついた。
いつのまにかカーテンの隙間から朝陽が漏れ込んでいて、朝が来たことに気づく。
こんな日がもう一週間近く続いていた。

『おまえ、清水に惚れてるやろ。』

翔に言われた言葉がまた甦る。
気を抜いたらすぐに思い出すその言葉の決着はついていなかった。
どれだけ考えてもわからない。自分は本当に清水遥奈が好きなのか。
今まで恋をしたことがない自分にそんなことがわかるはずもなくて。

だから、考えないようにした。仕事を無心でこなして、それ以外の時間は受験勉強をして。
でも、ふとした合間の時間に思い出すのは遥奈の姿だった。

この一週間でどれほど彼女の姿を追っただろう。何回あの桜吹雪の日を繰り返しただろう。
今日はバレンタインデー。生徒会引き継ぎの当日だった…。









全校集会での引き継ぎも無事に終わった放課後、翔は晴れ晴れとした気持ちで廊下を歩いていた。
今、最後の仕事と共に職員室に向かっている。
今度の会長は朱雀ほどの手腕はないが、憎めない良いやつだ。あいつなら、これからのこの学校を任せられる。

だいたい朱雀と比べるのが間違っているのだろう。本人に自覚はないが、朱雀は十年に一度の逸材だ。
あいつとの一年は本当に楽しくて、高校でも一緒にやっていけたらいいのにと思う。

それに…。彼は一週間前のことを思い出してにやけた。
気づかぬのは本人達ばかりで。まったく二人揃って手が焼ける。

その時、遠くのほうに人だかりが見えた。

「なんや、ありゃ?」

近づくに連れてその実体が明らかになり、翔は眉を寄せた。
その人混みの中心で、苦難を共にした友人がもみくちゃになっていた。

数日前に予想した通り、朱雀はバレンタインチョコを持った女子の大群に捕まっていた。
どうやら彼は困り果てているようで。
翔は大きなため息をついた。しょうがない、助けてやるか。翔は大きく息を吸い込んだ。

「元会長、まだ仕事残ってんねん!はよ来い!!」

翔の渾身の大声に人の山がサッと振り返った。翔は弛んだ人混みの中を掻き分けて朱雀に近づいた。
認めたくはないが、こういう時は背が低いほうが便利だ。そして彼の腕を掴んで周りの女子に手を合わせる。

「悪いな、緊急やねん。ちょっとこいつ借りるな。」

そう言われたら引き下がらないわけにもいかず。女の子達は渋々朱雀を解放した。
ようやく人混みから抜け出した二人は、その場を離れるために早足で歩き始めた。

「ありがとな、翔。ほんまに助かったわ。」

朱雀がそう言ったのは、誰もいないところに差し掛かってからだった。
すでに疲労感たっぷりの友人を翔は呆れたように見つめた。

「ほんまに適当にあしらえばいいところを。おまえは破滅的に不器用やな。」

まあ、それは一時横に置いておこう。

「それで、清水からチョコはもらったんか?」

途端、朱雀の顔が歪んだ。その反応に、翔はおやっと首を傾げる。
朱雀がまだ自分の気持ちに気づいていないことは知っていた。
ただ彼のことだから、何もないところで転ぶとか面白い反応を期待して言っただけなのに。
朱雀はどこか不機嫌な表情のままで答える。

「そんなんもらうはずないやろ。悪いけど生徒会室に用事あんねん。もう行くわ。」

「お、おう。」

そう言ってさっさと行ってしまった友人の背中に翔は驚きを隠せなかった。
なんだ、一人前に気にしているではないか。思ったよりも意識している様子に翔は頬を緩めた。

「よしっ、オレも職員室行くか。」

彼はこのあと起こるであろう面白い出来事を想像して、ウキウキしながら職員室に向かったのだった。






朱雀は生徒会室の鍵を開けると中に入り込んだ。ため息が口からこぼれる。

「ほんまに何やってんねん、オレは。」

彼は額に手を当てながら呟いた。翔に八つ当たりしてしまった。
でも、それ以上に翔に言われた言葉で受けた衝撃が朱雀を驚かせていた。

『清水からのチョコはもらったんか?』

答えは当然ノーだ。でも、あの時オレは『人が気にしていることを』と思った。
つまりオレは期待していたのだ。清水からのチョコレートを。
その事実に彼は唖然とするしかなかった。これではまるで…。

朱雀は己の中に芽生えた不可思議な気持ちに動揺しながら机に手をついた。
その時、手に何かが触れる。ガサッという紙特有の音を聞いて、ようやく彼はその存在に気が付いた。
それは目立たぬように置かれたクリーム色のやや地味な包みだった。

先ほどまで鍵がかかっていたこの部屋に入れるのは、新旧生徒会のみ。
彼は息を殺してそれを見つめた。
他の誰が差し出した物より地味で控えめで。遥奈の姿がよぎった。まさか。

彼は期待と不安で高鳴る気持ちを落ち着かせるようにゆっくりとその包みを手に取った。
すると、何か小さなものが滑り落ちる。

「なんや…?」

それは封筒だった。彼はその封筒を開いた。中には細かい字で埋まった便箋が入っていて。
それを読み進めるにつれて、彼の表情は硬くなっていった。
時間の感覚がなくなる。目の前が真っ暗になった。

「そん、な…。」

「朱雀!!」

突然、息を切らした翔が生徒会室に飛び込んできた。彼は肩で息をしながら叫ぶ。

「大変や!!さっき清水が退学届けを出しに来たって校長が…。」

「あと頼む。」

それがスイッチだった。朱雀は一言そう言うと、生徒会室から飛び出していた。

彼が生徒会室から飛び出ると、彼が出てくるのを待っていたらしい女の子の大群が押し寄せてきた。

「朱雀くん、受け取って!」

「ちょっと、邪魔せんといて!」

「紫藤くん、私のを!」

様々な声が入り乱れる。そんな中朱雀は大きく息を吸った。そして覚悟を決めたかのように前を向く。

「ごめん!!」

朱雀の澄んだ声が廊下中に響いた。あたりが水を打ったように静かになる。
そして深々と頭を下げた朱雀に視線が集まった。朱雀は言葉を綴る。

「オレ、大切な人がいるんです。だから、皆の気持ちを受け取ることはできへん。ごめん。」

その姿があまりに真剣で、誰も何も言えなかった。
朱雀はもう一度「ごめん」と呟くと、歩き始めた。朱雀の前にいた生徒が退いて道ができる。
そして彼は再び走り出したのだった。

朱雀は必死に一年前の記憶を呼び起こした。そして記憶を辿って走り続ける。
こんなに長い時間走ったのは久々だったが、ただ必死に走り続けた。

そして十数分後、彼はその建物にたどり着く。

「あった…。」

そこは一年前に一回だけ来たことがある遥奈のアパートだった。
息切れが激しい。しかし、そんなこと気にならなかった。
彼は清水の表札を探しだすとチャイムを鳴らした。心臓が大きな音を立てて鳴る。
しかし、返事がない。

嫌な予感が過った。彼は何度チャイムを鳴らした。
しかし誰も出てこなかった。心臓が凍る。
間違いない。遥奈はもうこの家にいなかった。足の力が抜けて、その場に座り込んでしまう。

間に合わなかった。胸が締め付けられたかのように苦しくなる。
なくなって初めて、その大切さに気付いた。

たくさんの遥奈の姿がよぎる。
会議中の真面目な顔、どこか頼りない表情、そしてふと綻んだ笑顔…。
もしかして。
朱雀は立ち上がると、その方向を見つめた。そしてもう一度走り始めたのだった。






『会長、一年間どうもありがとうございました。
会長に初めて会った昨年の1月、私は会長のことが苦手でした。
別世界の人みたいにかっこよくて、勉強もスポーツも何でもできて、人望が厚くて。
弱い人の気持ちなんて理解できないと思っていました…。
でも、それは私の思い込みでした。
会長は誰よりも繊細で優しくて温かい。
あの桜吹雪の日、初めて見せた会長の素顔で知りました。
あれから、気がついたら会長の姿を追っている自分がいて。
会長にとって、私の気持ちは迷惑でしかないこともわかっていました。
それに、私は会長のそばにいられただけで幸せだったから。
この一年、本当に楽しかったです。
でも、引っ越しが決まった今、最後にどうしても伝えたくなって。
最後の最後まで迷惑かけてすいません。
さようなら。ずっと大好きです。

朱雀先輩に出会えてよかった。      清水遥奈』








〜Love is seeing her in your dreams.〜