2009年12月。その騒動は、ある人の突拍子もなく、とても無責任な一言から始まった。
「ねぇ、陽くん。あたし、クリスマスパーティーしたいなぁ?」
「……はい?」
水曜午後の談話室。
この国の天皇陛下の誕生日だというこの日は、世間一般的には祝日とされている。
もちろんこの神焔学園には、祝日など関係ないが、
たまたま今はまったく任務が入っておらず、それぞれが思い思いに過ごしている。
そんな平和な午後の一時が突如として崩れた。
キラキラと目を輝かせるブリブリの服を着た義父に、陽は目を剥いた。
その表情は『何言ってんだ、この親父』と言わんばかりのもの。
しかし、陽の驚愕など知ったことじゃないというスタンスの彼は、無駄に可愛らしく指を立てた。
「だ・か・らぁ、クリスマスパーティー。
だってぇこんな山奥にいると、せっかくのクリスマスまで灰色になっちゃいそうなんだもん」
「だもんって。というより、晏先生や皆に失礼だから、それ」
確かにこの神焔学園では、クリスマスだからと言って特別なことはしない。
でも自分達は戦士だし、クリスマスなんて騒ぐ立場じゃないはずだ。
しかし、そんなことで引く凶戲じゃなかった。彼は唇を尖らせると、不平の声を上げた。
「戦士だからクリスマスなんて言ってられないとか言ったら殴るからね。
戦士だからこそ、一瞬一瞬を大切にしたいんじゃん」
「とかちょっと良いこと言ってるけど、師匠はパーティーしたいだけだろ」
沈黙。どうやら図星だったようだ。呆れた。しかし、凶戲はそれを誤魔化すように声を上げた。
「陽のバカっ!!もういいもん、和藍のとこに行くから」
「えっ!?」
そんな阿呆らしいことで晏の手を煩わせるなんて、とんでもない。
しかし、陽が止めるより早く、凶戲は走り去っていった。嫌な予感が陽を襲う。
そして数分後、陽の予感どおりの事態が起こったのだった。
「うん、皆揃ったみたいだね」
意気揚々とそう言った凶戲の前には、戸惑いや不満を隠しきれない学生達の姿がある。
まあ、一部ニヤニヤと笑っているような例外もいるが。
「おい、凶戲。何なんだよ、こんなとこに集めやがって。
とっとと用件言って、早く修行に戻らせろ!」
不満を顕にしている学生の代表である右京が、早速不平を漏らす。
しかし、相手はあの晏すら振り回す凶戲だ。当然ながら痛くも痒くもない。
それどころか、腰に手を当てて眉を上げる。
「ホントに右京は修行中毒だよねぇ。そんなことじゃモテないよ。あとぉ」
いつのまにか目の前に迫っていた凶戲は、右京の頬を両手で挟み込んだ。
そして、そのまま力を入れる。
こんな可愛いブリブリの格好をしていても、凶戲は力技を得意とする司令官だ。
当然そんなことをされたら半端なく痛い。
「ったあ!?放せ、何すんだよ!?」
「右京ってば、何回言ったらわかるのかなぁ。あたしは今日香。乙女だよぉ。間違えちゃメッ」
「どこにこんな怪力の乙女がいるんだよ!!いいから放せっ!!」
「まだそんなこと言っちゃうんだ。お仕置きが必要かな」
凶戲の笑顔に凄味が増す。沢嶺凶戲もとい今日香の禁句。それは三十路の親父。
それが痛いほどわかっている強かな学生たちは、右京の叫びも華麗に無視したのだった。
さらに数分後。
右京という名の、意外と常識人を廃人にした彼は、満足そうに手を叩いた。
そして、満面の笑顔で切り出す。
「ちょーっと邪魔が入っちゃったけど、本題に入ろうか。
うふふ、ちょーっと急だけど、明日はクリスマスパーティーだから、準備よろしくねー!」
あまりにも唐突に、何の前置きもなく飛び出した言葉に、時が止まる。
陽は思わず頭を抱えた。本当にやる気なのか、このバカ師匠は。
そして、そんな事態に対して最初に声を上げたのは、少し前に散々痛い目にあった彼だった。
「ちょっと待て。クリスマスパーティーとか言いやがったか、今?」
「右京、聞いちゃダメだ。幻聴だ、聞き流せ」
「現実逃避をしてる場合か、ラウル。まったく、あなたって人は懲りもせず阿呆らしいことを」
「なんでぇ?楽しそうじゃん。僕は賛成ー!」
「おまえは黙ってろっ!!」
能天気に賛成の意を示した修啓に、聖雅とラウルが突っ込みを入れる。
しかしいくら複数名の反対の言葉があれど、凶戲の耳に入るはずがなかった。
彼は鼻歌を歌いながら、少女のように可愛らしく笑う。
「ふふっ、楽しみだなぁ。もちろん皆ドレスアップしないとダメだからね!
料理はロン先輩が美味しいモノ作ってくれるみたいだしぃ。場所は屋上ね!」
「はいぃ!?」
「気のせいかな。俺、問題ありなワードが2つくらい聞こえた気がするんだけど」
「奇遇だな。私も2つほどいただけない言葉を聞いてしまった気がするよ」
右京が声を荒げ、ラウルと聖雅が額を押さえる。
ロンが準備をしてくれるというのは良い。
あの豪快な元最強戦士は、そういうイベントがあれば喜んで準備をしそうだ。
問題はあとの二つ。しかし、誰もその言葉を口にしようとしない。
陽は眉間の皺を一生懸命伸ばすと、仕方なく口を開いた。こういう時に息子は辛い。
「1人で盛り上がってるとこ悪いんだけど、まずドレスアップって何。
それに、場所が屋上ってのは、僕の幻聴だよね」
言葉の裏に込められた幻聴であってほしいという懇願。しかしそれは脆くも崩れ去った。
「何言ってるの、陽。両方そのままの意味じゃん」
「はあっ!?バカ言ってるんじゃないよ!今の季節わかってるだろ!冬だよ、冬!!
しかもドレスアップ。凍え死ぬよっ!!だいたいドレスなんて持ってないから!!」
「もう、陽は頭が固いなぁ。そういう時のために和藍がいるんでしょ?」
にこやか過ぎるほどにこやかに、凶戲は晏の名前を出した。
その視線の先を追った陽は、いつのまにかそこにあったボロボロの姿に声を上げる。
「晏先生!?」
「晏師、何故このような姿に」
いつもなら、シックながらも上品に服を着こなし、穏やかな微笑みを浮かべている司令官の晏和藍。
しかし今は、穏やかな微笑みは変わらぬものの、疲労が全身から溢れている。
彼は駆け寄ってきた弟子と同僚の息子に向かって笑い掛けた。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。ちょっと、疲れただけですし」
「どこが大丈夫なのですか!!」
「師匠、晏先生に何をしたんだよ!」
フッと息を付くその哀愁漂う姿を見て、大丈夫だと思う人がいたら、ぜひともお目にかかりたい。
一方、陽に詰め寄られた凶戲は、そんな状態などどこ吹く風といったように頬に指を当てた。
「なーんにもしてないよぉ。ただ、ちょーっと協力要請しただけで」
「協力要請だって?」
何か嫌な予感がする。そんな陽の悪寒を肯定するかのように、凶戲はにこやかに笑った。
「うん。陽の言うとおり屋上と衣裳の問題を解決してくれってね。
おかげで、パーティー中は屋上に暖房機能搭載の結界を張ってもらえることになったし、
衣裳代も出してくれるって!」
「……は?」
「何やってんだよ、バカ師匠!!」
聖雅は思考が追い付かないというように声を漏らし、陽は悲鳴のような怒声を上げた。
なんて迷惑極まりない。まさか、そんなことを晏に頼みに行っているなんて。
やはりあの時、無理にでも凶戲を止めておくべきだった。
そんな彼らのやりとりを遠巻きに眺めていた右京が呆れたように大きなため息をついた。
「アホらし」
「てか、晏先生があんなにボロボロなのって、そのせいだったのか。気の毒に」
右京のため息に同調するように、渇いた笑いを浮かべたラウル。
もはや気の毒としか言いようがない。
その間にも、当事者たちの言い争いはさらにヒートアップしていた。
「本当に、師匠は毎回毎回毎回毎回晏先生に迷惑かけて!
もう少し思いやりとか躊躇いというものを持てよ!!」
「えー、十分に思いやってるよぉ。愛情74%だって」
「何なんだよ、その微妙な数字は」
「高いか低いかまったくわからないね」
「ちなみに陽は68%だから」
「おいっ!!」
二人の言い争いにさりげなく感想を言った修啓の言葉も、
さらなるヒートアップ要素にしかならない。
そうして収拾が付かなくなりそうになったその時、突然争いを止める声が上がった。
その声に、陽は息を呑む。
「晏先生?」
驚きが隠せない陽。
言い争いを止めた彼は、いつもの穏やかすぎる微笑みを浮かべると言葉を紡いだ。
「私を心配してくれて、ありがとう。でも、本当に構わないのですよ。
たしかに初め聞いた時は唖然としましたが、キョウの言うとおり、
たまには息を抜くことも必要でしょう。
そのために私の力が役に立つならば、これほど嬉しいことはありません。
幸い今は任務も入っていない。せっかくの機会です。皆で楽しみましょう」
「晏先生……」
その優しすぎる言葉に、ほろりと涙が出そうになる。
なんて思いやりに溢れた人なのだろうか、まさに司令官の鏡。
そんな感動漂う空気をぶち壊しにしたのは、やはりあの人だった。
「ホントに和藍って幸薄体質だよねぇ」
「誰のせいだと思ってるのですか?」
我関せずというようにぬけぬけと言う凶戲に、晏の頬が痙攣する。
しかし、相変わらず凶戲にはそんなもの通用しない。
彼はパンッと手を打って視線を集めると、意気揚々と声を高めた。
「ということで、早速衣裳を買いに行こうか!麓にあたし行きつけの、すごくイイお店があるんだ」
こうして、神焔学園にとって数年ぶりのクリスマスは幕を開けたのだった。