王子様は歌う。〜Be lost in Love?〜
「朱雀くんってさ、なんで彼女いいへんのやろ。」
あまりに突然の問いかけに、小沢翔は一瞬何を言われたのかわからずに、マジマジとよく勝手知った相手を見つめた。
それはある放課後のことだ。
教室の掃除当番に当たっていた彼らは、ようやく掃除を終わらせ帰る仕度をしているところだった。
そんな中でそれを切り出したのは、翔の天敵であり、友人でもある大熊麗那だ。
彼女は翔より身長の高い、非常に長身の女子だ。
その身長の高さと結構きれいな顔のため、パッと見モデルのようだが、何のこともない。
彼女はただ単なる救いようのないオタクであった。
そんな彼女の唐突過ぎる問いに、翔はついていけなかった。
いつもながら前置きがなさすぎだと思う。
だって今まで話してたのは、担任のカツラの中は蒸れているかいないかという話だったではないか。
「ちょっと麗那、それはいきなり過ぎ。ほら、翔くん驚きで固まってるやん。」
そう言って姉のように麗那をたしなめたのは、彼女の親友で、翔の友人・長野優大の彼女でもある八坂奈瑞菜だった。
皆のお姉さん的な役どころを一手に引き受けている彼女は、かなり可愛いのにしっかりした少女である。しかし…。
奈瑞菜のたしなめに、麗那は不服を表すように頬を膨らませた。
「だって、漢方のカツラって朱雀くんの髪型と似とるし、
真似してるんかなとか考えとったら、急に気になってんもん。」
ここ2年E組の担任漢田方次46歳独身、その心配性なところからついたアダ名は名前から取って『漢方』。
漢方を常備してそうやんなという意味で付けられた、校内でも有名なヅラ教師である。
たしかに彼の最近の髪型はどことなく朱雀を意識しているようではあったが、
ずいぶん無理矢理な連想ゲームだと翔は思った。
しかし、麗那は怯むことなく、呆れている奈瑞菜と翔の横で手を握りしめた。
「だってさ、気にならへん?朱雀くん、一応はトップアイドルやん。
めっちゃ庶民的でヘタレやけど、本来なら雲の上の人やねんで。
普通なら彼女の一人や二人おってもおかしくないやん!」
「いや、二人おったらアカンやろ!!」
「言葉のあややん、いちいちつっこまんとって!とにかく、その朱雀くんに彼女がいないんやで。
こんな生意気な小沢でも昔はおったいうのに、あきらかおかしいやん!」
「おまえケンカ売ってんのか!!」
遠慮の欠片もない麗那の言葉に翔は眉をつり上げた。
ここまでボロクソ言われて黙っていられるほど、翔はできた人間ではなかった。
「もう、麗那も翔くんも落ち着きいや!麗那、言い過ぎ。」
一触即発状態の二人に、奈瑞菜は怒ったように腕を組んだ。
奈瑞菜の雷が半端なく怖いことを知っている二人は、目を合わせると、とりあえず休戦協定を結んだ。
それを確認した奈瑞菜は組んでいた腕をほどく。そして何かを考えるように視線を上げた。
「でも、麗那が気になる気持ちもわかるんよ。うちも気になるもん。」
「やろ!!気になるやろ!!」
強い味方を得たことで、麗那の興奮がさらに増したようだった。
こうなるとなかなかブレーキが効かなくなる。まったく厄介なやつである。
翔は二人にバレないように小さくため息をついたつもりだった。
しかし、それはしっかりと麗那の耳に拾われていたようで。彼女は目をつり上げて翔を睨んだ。
「何なん、その呆れ返ったようなため息は!」
「聞いてたんか。おまえほんまに地獄耳やな。普通聞こえへんやろ。」
「なんやて!!」
再び一触即発モードに突入した二人に向かって奈瑞菜が大きく咳払いした。
その咳払いに二人の背が揺れる。そうだ、眠れる鬼を起こすわけにはいかないのだった。
そして大変不本意ながらもお互いもう一度席についた。
「とにかく、うちは気になって気になってしゃあないねん。
なあ、中学の時とかなんかなかったん?あんた朱雀くんと同じ中学出身やろ?」
「はあっ?オレかよ」
なるほど、彼女の狙いは最初からそこにあったのだろう。
高校に入学してから2年目になるが、朱雀にそういう浮いた噂があったことはほとんどなかった。
何回かデマが流れたこともあったが、それだけである。
しかし中学なら何かあるかもしれない。彼女の狙いはそこにあるようだ。
そして翔は麗那の指摘どおり朱雀と同じ中学出身だ。もちろん中学のころから彼とは仲が良かった。
つまり格好の標的である。麗那の目が光る。しかし、翔は肩を竦めるだけだった。
「残念やけど、中学の時もそんな話はなかったわ。」
「えぇーっ、ほんまに?」
「ああ。おもろないことに、今とまったく変化なしやで。」
翔の答えに麗那はあからさまに肩を落とした。
全身でつまらないと語る彼女の肩を奈瑞菜がポンポンと叩いた。
「しょうがないやん、麗那。ないもんはないわけやし。」
「うーっ、楽しみにしてたのに。萎えた!もう萎え萎えや!!うちは帰る!」
「ちょっと麗那!?」
「ああ、はよ帰りぃや。」
翔はそう言って追い払うように手を振った。麗那が肩を落として教室から出ていく。
奈瑞菜も慌てて鞄を掴むと、麗那の後を追いかけて教室を出ていった。
先ほどまであれほど騒がしかった教室が静寂に包まれる。
そして翔は緊張で固まっていた身体を解すようにため息をついた。
よかった。どうにかばれずに済んだ。
最初に麗那があの話を持ち出したときは驚きで息が止まるかと思った。
本当はあったのだ。朱雀の恋の話は。
しかし、翔の独断でそれを話していいような内容ではなかった。だから彼は嘘をついた。
翔は教室の窓から、夕焼けに染まる冬空を見上げた。
もうすぐあれから2度目の春がやってくる。
なあ、朱雀。おまえはいつまでそこにおるんや。記憶が遡る。
〜Be lost in Love?〜