王子様は歌う。〜You are in love, aren't you?〜



ヒラヒラと舞う桜色の花。まるで花びらの嵐の中にいるような、幻想的な世界。桜吹雪。
その中一人ただ茫然と立ち竦む少女の姿。

自分と同じように驚きを隠せていない彼女は、目を大きく開いてその光景を見ていた。
二人はしばらくそうしてただ前を見ていた。

しばらくしてふと彼女を振り返った時、彼女はふわりと微笑みを漏らした。
花が綻ぶ瞬間を見ているようだった。その微笑みは何よりも優しく温かい色を放っていて。
一瞬にして目が離せなくなった。

思えばあの日から自分は恋の迷路に陥ってしまったのかもしれない。
そして、もうすぐ再び春がやってくる。





「で、ほんまのとこどうなん?」

突然の問いかけに、朱雀の頭は一瞬付いていけなかった。
目の前には興味津々といったように期待に満ちた目で自分を見つめているクラスメイトたちの姿があった。
また始まったか。その姿に、朱雀は大きくため息をついた。

「悪い。聞いてへんかった。」

内容はだいたいわかるが、朱雀はあえてそう言った。というより…。

「なあ、そろそろ帰る気ないか?」

いいかげん仕事に集中させてほしいのだが。彼らのせいで一向に仕事が進まない。

ここは京都府立平安中学校生徒会室。
なんの因果か紫藤朱雀はこの平安中学の生徒会長などというものをやってたりする。

どれもこれも、自分の幸薄体質が原因だ。
この中学に転校してきたのが昨年の一月。その時ちょうど当時の会長が転校してしまったやらなんやらで、
あれよあれよという間に生徒会長になっていたのは、転校から一週間も経たない内だった。

最初は、こんなどこの馬の骨ともわからない転校生を生徒会長に据えるなんて、
ボイコットが起こるのが当然だと鷹をくくっていたが、何故か一向にそんな気配もなくすでに一年が経過してしまった。

それどころかとうの昔に任期が終わっているはずの中学三年の一月になって、
ようやく次の会長候補が決まり、引き継ぎ準備に忙しい二月のこのごろ。

あれぇ、オレって受験生じゃなかったっけと思ったことは数知れず。
君の成績なら余裕余裕、大丈V!と無責任丸出しの発言をしたのは校長だった気がする。

というわけで、受験生真っ盛りのはずの今、朱雀は連日生徒会業務に追われる日々を過ごしていた。
やることは大量にある。しかし毎日のようにクラスメイトが入り浸りに来るため、なかなか仕事が片付かないのだ。

朱雀の言葉に友人たちの目が点になった。そして次の瞬間、彼らは満面の笑みを浮かべた。

「いいやん、細かいことは。西の紫藤がみみっちいで。」

「頼むわ。そろそろ忘れてくれへんか、それ。」

西の紫藤。それはこの秋に付いてしまったなんとも厄介な二つ名であった。
まあ、詳しい話は今度ゆっくりするとしよう。

今、最大の問題は彼らをどうやって生徒会室から追い出すかだ。
朱雀はズキズキと痛む頭を押さえた。もともと人付き合いはあまり得意ではないのだ。

そのときだった。生徒会室の扉が大きな音を立てて開いた。
そしてそこに立っていた小さい男が盛大に眉をひそめる。

「なんやおまえら、また来てたんか。仕事の邪魔や。はよ帰れ。」

彼はそういうと、両手に抱えていた大量の書類を机に置き、追い払うようにシッシと手を振った。
彼の名前は小沢翔。名前の通り非常に身長の低い彼は、この平安中学の生徒会副会長であり、朱雀の一番の友人だ。

この翔という男、成績に関しては生徒会役員にしてあるまじき低さを誇っていたが、
フレンドリーで兄貴肌なその人柄によって、副会長として朱雀の欠点をうまいことカバーしてくれている。

彼はまた剣道部のエースでもあり、スポーツ推薦で朱雀の目指す平安高校への進学を決めていた。
そのおかげで、今も受験に追われることなく生徒会の仕事をこなしている。

翔がそう言ったら食い下がっても無意味なことはわかっていたのだろう。
クラスメイトたちは不満げに唇を尖らせながらも、大人しく生徒会室を出ていった。

ようやく部屋に静寂が戻る。その静寂の中、朱雀は大きく息をついた。

「助かったわ。サンキューな、翔。」

「ほんまあいつらも暇やなあ。今日は何の用事やったん?」

「たぶんいつものやつ。」

力の入らない朱雀の返事に翔はやっぱりと幸薄い友人を気の毒なものを見る目で見つめた。
朱雀のため息が深くなる。

「てか、なんであいつらはあんなに知りたがるんやろ。」

「バレンタインと卒業控えてるからな。やっぱり校内一のモテ男の動向は気になるんやろ。」

最近朱雀がしつこく聞かれること。それは好きな人の存在だった。それも男女問わずに聞かれる。
正直、翔が上げた二大イベントはもはや恐怖でしかなかった。
今でも学校内外男女問わず、一週間に一回は告白されてるというのに、卒業を控えたこの先一体どうなってしまうのだろう。
さらに2月14日は生徒会引き継ぎの当日でもあって。

朱雀はもみくちゃにされる自分を想像して大きく身震いした。
勘弁してほしい。考えるだけでも恐ろしかった。
そんな朱雀の姿を見て、翔は苦笑した。

「人気者は大変やなあ。」

「おっまえ、他人事みたいに言いよって。」

「そりゃ、他人事やしな。」

容赦ない峰打ちに朱雀は撃沈した。友人としてどうなんだ、それは。
彼は不貞腐れた。だいたい、好きなやつなんて…たぶんいない。
気になるやつはいることにはいるが。ただ、桜色に染まった景色が忘れられないだけなのだ。

朱雀の頭の中に一年前の景色が過る。
月の光に照らされる中、舞い踊る桜色の花びらたち。そして綻んだ小さな笑顔。
一年経った今でも鮮明に覚えているのは、きっとあまりに桜吹雪がきれいだったからで。

朱雀は目を瞑ってただ想いを馳せた。だから、生徒会室に人が入ってきたことも気づかなくて。
突然目の前に人影が現れる。

「大丈夫ですか、会長?」

いつのまにか目の前にあった顔に朱雀は驚きを隠すことができず、おもいっきりのけ反った。

「しっ、清水!?」

一瞬、幻が現れたのかと思った。顔が熱くなるのが自分でもわかる。
朱雀の反応に少女は心配そうに瞬きをした。

彼女の名は清水遥奈、中学二年生。生徒会書記でこの部屋の紅一点だ。
性格は至って穏和で大人しく、悪くいえば地味で目立たない。
顔はなかなかかわいいのに、浮いた噂の一つもないのはきっとそのせいだろう。
そして彼女は、今まで朱雀が想いを馳せていた相手でもあった。

心臓が大きな音を立てて鳴り響く。なんでこのタイミングで現れるのだ。
彼は赤く染まった頬を押さえると、落ち着くように自分に言い聞かせた。そしてゆっくり自然な微笑みを作る。

「大丈夫やで、ちょっと目が疲れただけやから。清水はどうしたん?今日は休みやって聞いとったけど。」

「あのっ、今日提出の書類のこと忘れてて…。ここに会長のサイン貰わないといけないんです。」

そう言って遥奈は書類の一角を指した。なるほど、たしかにこれは今日中にと頼まれていたものだ。
朱雀は胸ポケットから万年筆を取り出すと、さらさらと署名をした。それを確認した遥奈はホッと息をつく。

「ありがとうございました、会長。あとはこれを提出すれば…。」

独り言のようにそう呟いた遥奈の手から突如書類が消える。
驚いて上を見上げれば、その書類を持った朱雀が微笑んでいた。

「いいよ、オレ提出しとくし。急いでるんやろ、はやく行き。」

「で、でも…。」

「どうせ後で職員室行かなあかんから、気にせんでええよ。今日中に出したらいいんやろ?」

朱雀の問いに遥奈はおずおずと頷いた。彼女の遠慮がちな様子に彼は温かな気持ちで笑った。
やはり遥奈は普通の女の子とは違う。自然と笑顔がこぼれる。

「やったら気にすんな。いつも清水には助けられてるからな。たまにはオレに花を持たせてくれへん?」

そう言われて遥奈が断れるわけもなく。
彼女は深々とお辞儀をすると生徒会室から出ていった。朱雀は扉が閉まるまで笑いながら手を振り続けた。

「青春やな。」

突如背後から聞こえた声に朱雀の背が大きく揺れる。
振り返ればにやけ顔の翔が朱雀を見ていて。背中に汗が伝う。

「おまえ急に何を…。」

「ファンクラブが見たら泣くで。
普段は引きつった笑みしか見せない王子があんなに楽しそうな笑みを見せたって知ったら。
くはーっ、やっぱ本命相手やとちゃうなあ。」

何気ない翔の言葉に朱雀の表情が固まった。
今、なんて言った…?体が硬直し、顔が火傷をしたかのように熱くなる。

「なっ、本命って、オレは別にそんな…。」

「何言ってんねん。この一年、おまえずっと清水の姿を追ってたやん。
なかなか人と馴染めないおまえが一番生き生きした顔するのはオレの前でも、皆の前でもない。
清水の前だけや。」

翔の言葉に朱雀は何も言い返せなかった。
自分では気づいていなかった己の行動に、ただ唖然とするばかりで。翔の唇が上がる。

「おまえ、清水に惚れてるやろ。」

もはや息ができなかった。







〜You are in love, aren't you?〜